そういえば教養系の番組が懐かしい
二月も気づけば残り一週間、皆様いかがお過ごしでしょうか。
わたくしの方はと申しますと
フェブラリーステークス三連複的中いたしました🎯
ヤンヤヤンヤ
久々の的中で、100倍以上の的中は一年ぶりくらいになるのでしょうか?
脳汁がドバドバとあふれる感覚は何度味わっても良いものですね。
お題に乗り損ねた
今週のお題「復活してほしいもの」
について書こうと思ってタイトルだけ作っていたら週が明けてしまい、お題が変わってしまっていました
さて、せっかく取り掛かったものですから「復活してほしいもの」書いていきたいと思います。
私が復活してほしいと願ってやまないのは、民放の教養系番組です。
番組名までいうと「たけしの万物創世記」です。
毎回一つのテーマについて、VTRメインで進めていく教養系番組で、テーマが蚊から寿司から自動車から兵器から……と多岐にわたっておりました。
個人的に、オープニング・エンディングのBGMとそこに乗っている渋い声のナレーションが特に好きでした。
また、ボイスチェンジャーを使った専門家『下目黒権之助』さんが深い解説をすることで、ただのバラエティー以上の深みがある番組だったと記憶しております。
(あれは、監修担当の教授や専門家が中のひとだったのでしょうか?)
そういえば、最近この手の教養系番組って少なくなったなぁ……とすこし寂しく感じています。
民放で有名なところで言うと
・池上彰さん系の番組
あたりしか思い浮かべられません…。
あとはNHKがなかなかに頑張っている印象があります。
クロ現
教育ちゃんねるの番組
あたりは見ていて惹きつけられるものがあります。
(個人的に、深海シリーズが大好きです)
(あと、山崎努さんが出演されていた地球大進化シリーズもいいですよね)
いやいや、お前がテレビ見ないだけで、ちゃんと教養系もやってらぁ!!
という状況でありましたら誠にごめんなさい。
さて、仮に教養系の番組が減少しているという感覚が正しかった仮定した場合、何故減ってしまっているのでしょうか?
仮定に仮定を重ねる妄想を展開しても仕方がありませんが、少しだけ想像の翼を広げてみましょう。
岡田斗司夫さんも、何故を考えることが重要と言っていることですし。
教養番組は何故減った?? の妄想
とくにソースなどはないのですが、なんとなく思い浮かぶ理由が3つあります
①視聴率が取れない
②お金と時間がかかりすぎる
③説に対してのクレームがくる
あたりなのかなぁ? と思い浮かびました。
いや、想像あさすぎひん!?!? 足の甲までしか水深ないやんけ!!
と怒られてしまいそうな浅い感想です。
まあ、頭が悪いなりに考えようとしているということでお目こぼしください。
①視聴率が取れない
視聴率が取れない理由として思いついたのは以下の三つです
(1)論理の積み重ねは面白くない
(2)辛抱強さが必要になる
(3)知識の錯覚を破られることは耐え難い
(1)論理の積み重ねは面白くない
教養番組で取り扱うテーマは、一般に、学校やこれまでの生活で習ったことがある内容が多くなると思います。
一度は見たことがある内容について、さらなる論理の深堀をしていっても、アッと驚くような結論に達することはなかなかないと思います。
だって結論は今目の前にある現実なんだもん。
頭とお尻を知っている物語を読んでいても退屈に感じてしまうことにも似ていると思います。
また、テレビのメイン視聴者となる中高年にとっては、すでに見たことある内容を見ることになってしまうことも、面白く感じない一因なのかもしれません。
(2)辛抱強さが必要になる
これは、ごく最近の例に限られてしまいますが、長時間一つの番組を見るということは、それなりの辛抱強さが必要になります。
1時間番組を見ている間に、YouTubeの短い動画なら5本から10本ほど見ることができてしまいます。
あるいは、最近の芸能人についてのまとめサイトの記事をいくつも巡ることもできるし、ガチャを引いてその結果をTwitterで報告することもできます。
VTRの要約部分を見ることはストレスなくできても、ある程度のまとまった時間テレビを見続け、結論にたどり着くシステムは、今は向かないのかもしれません。
(3)知識の錯覚を破られることは耐え難い
『無知の科学』によると、人は「知識の錯覚」と呼ばれる錯覚にとらわれていることが多々あるといいます。
これは、自分はあたかも深い知見を持っていると自分自身の知性を高く見積もってしまうという心理的な働きの事を指し、似たような内容として、ダニングクルーガー効果があげられます。
知識の錯覚の厄介な点として、錯覚を破壊される=自分の無知を指摘されると、人は往々にして認知不協和を起こし、怒り出すという特徴があるそうです。
お客様である視聴者を怒らせてしまった場合、二度とその番組を見なくなってしまう可能性があります。
すると当然視聴率にも響くため、できるだけ錯覚のベールをはがさないで気持ちよく見てもらうことが重要事項になってくるでしょう。
以上の事から、教養番組は視聴率が取れないと判断されたのではないでしょうか?
②お金と時間がかかりすぎる
テーマに対してどのような研究が行われ、どのような説が提唱され、どのような理由によって支配的な説が決まっているのか?
ということを調べようとすると、かなりの時間がかかってきます。
さらに、その内容をある程度の子供から大人まで理解できるような内容に落とし込もうとすると、そこでも工数がかかってきます。
はあちゅうさんは広告代理店時代に『偏差値40』にもわかるような内容にするよう指導されていたとツイートしており、池田信夫さんはNHK在籍時に『高卒の50歳専業主婦』がメインターゲットであると教わったむねツイートしていました。
私のように抽象概念を理解することができない層にもわかるように作ることが重要なのでしょう。
抽象化を避けてかつ教養的な内容を伝えようとすると、CGや実験映像、模型などで具体的に示すことが必要になってくるでしょう。
100の言葉を重ねるより、1つの爆破シーンを流したほうが直感的に理解したつもりになってもらえるものです。
そのような映像・小道具を準備するのにも時間とカネがかかってきます。
そんな金をかけるよりも20,000円の寿司や5,000円のラーメンを紹介した方がはるかに安上がりで視聴率も稼げるのだから、そちらに流れていくのは私起業として当然の行動でしょう。
③説に対してクレームがくる説
1つの事象に対してすべての学説を取り扱うことは、無限の時間と予算を必要とします
当然ながら、支配的な説をメインに紹介することとなりましょうが、それに対して嚙みついてくる人がかなりいるのでは? という妄想です。
Twitterのクソリプを見てみるとわかりますが、一つの説明に対して実に様々な角度からのクレームがつくことが予想されます。
さらに教養系の内容では、知識の錯覚によって番組制作者より詳しいと思っている人がぽこじゃかと出てくることは予想に難くありません。
そんなクレームがつくくらいならば、人の快楽原則に基づいた内容を矢継ぎ早に繰り出す方が製作者も視聴者も心穏やかに過ごせるというもの。
お笑いとエロと飯だけを繰り返し流す「ソドムの市」方式が僕みたいな偏差値50前後のひとにとっては心地よいのだから、教養番組など減っていって当然なのでしょう。