重信房子さんが釈放されたらしいので、当時を知らない世代が感想書いてみるスッドレ
脂質糖質炭水化物たりてますか?
おやつは心の栄養素
無職童貞の唯唯です。
このブログはいつになったらダイエットに成功しましたという記事を上げるのか?
痩せたい痩せたいといい続けるだけの口だけ野郎です。
重信(奥平)房子さんの出所
さて、5月28日にとある女性が刑期を終えて出所しました。
彼女の名は重信房子。
日本赤軍の幹部として、多くの犠牲者を出した事件に関与していたとされる人です。
裁判では
「自らの主義や主張を絶対視し、多数の生命、身体への危険を意に介さない身勝手な犯行であり、真摯な反省がみられない」
という言葉とともに懲役20年が課せられ、2022年5月28日付で出所するまで罪を償っていたそうです。
(とはいえ、医療行為を受けている時間も相当に合ったみたいなので、純粋な懲役と言えるのか? という疑問は沸いてしまいますが……)
そんな彼女の出所に寄せられた記事を読んで、何とも言えない違和感があったよねっていうお話になります。
余談
余談ですが、ムショって刑務所を略してムショじゃないっていう話を
「ゆる言語学ラジオ」
でタイムリーに放送していたので、紹介してみます。
直感的には、刑務所(ケイムショ)の後半をもってきて「ムショ」となります。
しかし
「ムショ」の初出⇒大正4年
ということで、ムショという言葉の方が先に出ていることが確認されたそうです。
では「ムショ」とは何を略したのか?
動画では「ムショ」=「ムシヨセバ」であると開設されていました。
ムシヨセバと音を聞いて、初めに虫寄せ場?? と思ったのですが、漢字で書くと
「六四寄場」
寄場は、主に日雇い労働の求職者と募集者が集まる場所を指します。
また、893の世界においては、刑務作業という一日いくらにもならない労働を課せられる場所という意味において監獄・刑務所を指していたようです。
残りの「六四」は何でしょうか。
四八であれば、からすま兄貴の動画でおなじみのゲームだとわかります。
六四は、ずばり、主食である飯の白米と麦の割合が6:4であったことから
米6:麦4の飯を食わされる寄場=六四寄場=ムショ
となったそうです。
こういう直感を裏切られる雑学っていいですよね。
ちなみに(余談入れ子構造)ニコニコ動画ユーザーに大人気の「刑務所の中」では
「米7に麦3のごはん、玉ねぎと切敷の味噌汁、マグロフレークと金時豆の佃煮」
というセリフが出てきます。(びゅーだね)
ということは、どこかで法改正があって米と麦の割合が変わっていったのでしょうか
まあ、お世話になりたくはないものです。
時代のヒロインか、犯罪組織の一員か
話を重信房子さんに戻しましょう。
簡単な経歴をWikipedia先生から引いてみると
1970年 大菩薩峠事件関与で逮捕
1971年 パレスチナへ基地を作ろうとする(なんで??)
2月 「京都パルチザン」 奥平剛士と結婚
パレスチナ解放戦線へ参加 軍事訓練を受ける
1974年 5月 「ハーグ事件」への関与により国際指名手配
東京地裁にて
「重信被告は武器調達や解放された仲間を受け入れる国との調整をPFLPに依頼するという重要な役割を担っていた」
と認定され、懲役20年の判決が出る
控訴・上告・上告棄却への異議申し立てを行うものの、すべて棄却
懲役20年の刑が確定する
というのが簡単なあらましになります。
出所に駆けつける40人(と金平さんとか青木さん)
さて、国内外でテロ行為やその準備を行った彼女、収監された後は、国の税金によってがん治療を受けたり書籍の執筆を行っていたようです。
2022年5月28日に出所するときには
「約40人の支援者らに迎えられた。黒いズボンと帽子、グレーのカーディガン姿で車を降り、拍手で迎える支援者らと手を振り合ったり、ハイタッチしたりしていた」
「自分が『テロリスト』だと考えたことはない」と主張。今も国際手配されている日本赤軍メンバー7人については「手配を取り下げることによって、日本に帰れるようになることを願っている」「必要とされる場で生き抜いてほしい」
「一つの方向に流れているんじゃないかというのが、(ウクライナの)ゼレンスキー大統領に国会(での演説)でスタンディングオベーションしたところに現れているなと思います。国民がそうではなくとも、政治家が一方向に流れているなというのが実感」
などと述べたようです。
人殺しの一員か時代の証人か?
さて、刑期を勤め上げたため、出所するのは当然なのですが、個人的にこの扱いはどうなんだ? と首をかしげてしまいました。
「人民のための革命」
であったと自分たちの正義を語っています。
あさま山荘事件後に取材を受けた元構成員たちは
「あの時やろうとしたことそのものは、絶対に正しかった」
と回答しているようです
(連合赤軍事件50年目の真相p43)
当時を生きていないため、彼ら彼女らがどのような精神状態であったのか? という部分についてはわかりませんが、事件のあらましや彼らが行ってきた行動
・空港での大量殺人
・山岳ベースでのリンチ殺人
・ハイジャック事件
・山荘での立てこもり
などの記録を読み、その後の発言を読んで、率直に
「幼稚だな」
と感じてしまいました。
彼らは崇高な目的意識を持っていたのかもしれません。
かなえたかった世界があったのかもしれません。
しかし
そのために市井の人々を踏みつけにし、殺害し、自分たちを英雄視して行動を続けたことは、大学デビューした全能感で騒いでる人々と何ら変わらないと思います。
日本の公安機構や自衛隊相手に戦争をするなんて噴飯ものです。
自分たちが踏みつけにした人々にもかけがえのない生活があり、つなぎたかった明日があるというのに、それを一方的な理屈で奪い取ったことのどこが「人民のための」行動なのか?
人民だの市民だのと大げさな主語を使うな。
彼らに対する侮辱であり冒涜である。
と怒りを覚えてしまったのでした。
憧憬を向ける金平青木 歓迎ムードの老人たち
彼女が出所するとき、横断幕を掲げて歓迎した人々や取材に訪れた金平茂樹さん青木理さん。彼らに対しても(おそらく彼らからしたら理不尽な)イライラを覚えてしまいました。
カルシウムが足りていないのかもしれません。
もちろん内心の自由・表現の自由はありますが、あれが出所してきた元犯罪者への態度でしょうか?
数百人数千人に迷惑をかけた殺人集団の一人を、まるで英雄の凱旋かのごとく崇め奉り、日本の政治に対するコメントまでとっています。
本来であればどのように反省したのか
反省・総括が足りない部分はどこなのか
暴力によって踏みつけにした人々へどのように償うか
という目を向ける取材陣はいなかったのでしょうか。
あえてあしざまに書けば、殺人者集団の親玉です。
普通あのような対応ないだろう……と思ってしまいました。
憧れでありお得意様なのかも?
さて、マスメディアの一員である彼ら(とくに金平さん・青木さん)があのような態度をとる理由はどこにあるのか?
①当時の彼らにとってのヒーローだから
②メシのタネになるお得意様だから
という2つが思い浮かびました。
①については言うに及ばず。
日本を変革しようとしていた人々にとって、赤軍派連合赤軍は憧れシンパシーを抱く部分が多々あったのでしょう。
日本の政治を変えたいが、票数・議席数ではかなわない。と歯がゆい思いをしているところに、革命と称して大きな行動を起こした彼らは、燦然と輝くヒーローヒロインに見えた可能性があります。
(それでも自分たちは同調せず、しれっと就活しているあたりはさすがですが)
血気盛ん多感な時期のヒロインが出てくるとあれば、キラキラした目で迎えるのも当然といえば当然なのでしょう。
②メシのタネになるお得意様だから
これもまた、メディアの人間として当然の反応と言えるでしょう。
売上部数が低迷する新聞や雑誌、ネットコンテンツに押されがちなTVというメディアですが、過去の大事件に関するライブラリの豊富さは他を圧倒しています。
重信出所というイベントは、視聴率や売り上げに貢献する大変美味しい出来事に違いありません。
また、今後、政治的な動きがあった時に
「当時を知る重信房子に聴いた」
等と言ってインタビュー企画を組めば、注目を集めることができます。
マスメディアに身を置き、当時を生きた人にとって、重信房子出所は一粒で二度おいしい、いや、二度どころではなく美味しいのでしょう。
自分たちを代表した時代のヒーローにふれあい当時の自己肯定感をよみがえらせ、売り上げに直結してくれる。
したり顔でコメントしながら、その裏では眉尻を下げて舌なめずりをしていても驚きません。
まとめ:世界を変えようとするな
結局私が感じたことは
彼らは革命という錦旗に酔った幼稚な集団であった。
おぞましい暴力性も幼稚性の付属物である。
一足飛びに世界は変わらない。まずは人々とともに汗をかき、涙を流して寄り添っていかなければだめだ。
という三点にまとめられるかと思います。
特に、社会に出て労働者とともに汗をかき涙を流して心をつかむ、という行動が圧倒的に足りなかったのだと思います。
街に溶け、社会に順応している大人たちは、若い目から見れば飼いならされているようにも見えたのでしょう。
社会を変えようとせず、今日明日の食い扶持にしがみつく「社会人」という均質的な塊に見えて、そこに吸収されるのが嫌だったのかもしれません。
しかし、それはあくまでも俯瞰した視点から見ているためで、実際に触れあってみると似ているようでどこか違う、同じ集団であるけれど同時に個人として生きている。
モル単位で見れば個性的であり分子単位で見れば均質な集団である、ということもありえましょう。
プロールたちが強い政治的意見を持つことは望ましくないのだ。彼らに必要なのは素朴な愛国心だけ。
(中略)
かれらが不満を覚えた時でさえ、実際、そうした状況がないではないのだが、その不満は何の変化ももたらさない。かれらは全体を見通す考えを持たないので……
(一九八四年 p111)
のような群衆としてしか認識しておらず、知的エリートである自分たちが行動を起こすことで初めて革命がおこると思っていたのかもしれません。
この視点しか持てないこともまた、幼稚さの表れであると思います。
財・サービスでも政治的なことでも、人々に何かを呼びかける時には、相手を塊や群れとしてみなすことは、有効でない場合があります。
特に、かけがえのない自分でありたいと思っている人々に対して、大衆や群れとみなしての広告は逆効果になりがちです。
かけがえのないあなたに向けて、特別にこれをおススメしています。
という態度が必要です。
戦列歩兵へ砲撃するのではなく、散兵に対して狙撃をしていくようなMARKETINGが欠かせません。
そして、そのためには、相手の観察が必要不可欠となります。
一人のタクシー運転手をつかまえることだ。その男には他のどの運転手ともちがったところなどないように君にはみえる。しかし君の描写によって、この男がこの世界中の他のどの運転手とも違った一人の独自の人物にみえるようになるまで、君はこの男を研究しなければならない。
(アイデアのつくり方p35-36)
と記されたモーパッサンの文章修行のごとく、大衆の中に入って観察をしなければならなかったのにそれをしなかった。
それは、確固たる自己の確立がされていないため、自分もまた大衆の一部に取り込まれ、時代に溶けてしまう恐れ故ではないでしょうか?
自分の考えはかけがえのない独自性にあふれたものなどではない。
大衆を大衆としてとらえず、個性的な一人ひとりが集まったものであると理解する。
という、モルと分子、抽象と具体の往復を絶えず繰り返し、そして自分たちの理想を少しずつ語る。
地道な一歩一歩を嫌い、ひとっとびに理想の成就を願う、やはり幼稚さが彼らの運動を瓦解させ、こんにちの革新派を窮地へ陥れたのでしょう。
人々の中にしか革命はない。
革命は一日にしてならず。
という至極当然の結論に至るのではないでしょうか。
当時を知らない無職が好き勝手書いてることが最も滑稽であり、こんな文章を書いている暇があたら、具体的行動を起こせよwwwというお話ですが。
へば